Democratic Guild 蒼穹(デモクラティックギルド ソウキュウ)

学校とは違った「新しい学びのカタチ」。これからの子ども達の学びを考えるブログです。

学校教育の現状をちょっと考えてみた

 

日本で「学びの場」と言えば「学校」です。

日本では「義務教育」という制度の関係で、

ほぼすべての子ども達がこの「学校」に行きます。

 

しかし、いまこの「学校」で異変が起きています。

いじめや不登校、目標や夢を見いだせない子ども達。

「授業」という本来の仕事に向き合う暇も無いほど、余計な仕事を押し付けられ、生徒と向き合う暇も無く、忙しさに疲弊している教師。

 

そう、今の学校では「大人も子どもも疲れきっている」のです。

(もちろん全てとは言いませんが・・・)

 

 

その理由は、

①「学校」の仕組みが昔から変わっていない

子ども達をよりよく育てるという考えのもと、文科省から教育委員会や学校に対して様々な通知があるわけですが、教育の方法を変えて行くなら「学校のシステム」そのものを変えて行かなければならないはずなのに、今の学校の基本的なカタチは戦後からほぼ変わっていません。

 

例えると、

「やることを変えなければいけないのに、システムはそのまま。」

「違うモノを作らなきゃいけないのに、機械はそのまま。」

こんな状況じゃあ無理が出て当たり前ですよね~。

 

 

②公的な学びの場である「学校」のカタチが一種類しかない

多様性や個性が叫ばれている今の世の中を見てわかるように、そもそも人間とは一人一人違う生き物であり、その発達や学び方・得意分野も違うはずなのに、日本では「学校」というたった一種類の画一的な学びのカタチしか選択できない。

もしそれに合わなければ「不登校」という扱いになるわけで・・・

 

『既存の学校に行く』or『不登校

この二択しかないのって、明らかにおかしいですよね?

 

 

③「学校」や「教育委員会」が事なかれ主義

そもそも「学校とは何のためにあるのか?」「なぜ学ばなければならないのか?」「多様性が叫ばれる中で子どもにとってどんな学びのカタチであるべきなのか?」などといった根本的な議論が十分になされておらず、前例に従って盲目的に学校運営がされている。

 

 文部科学省のホームページに教育委員会に対して指摘されている問題点とその要因」という文章が掲載されています。

その一部を見てみると、

教育委員会は、事務局の提出する案を追認するだけで、実質的な意思決定を行っていない。

教育委員会が地域住民の意向を十分に反映したものとなっておらず、教員など教育関係者の意向に沿って教育行政を行う傾向が強い。

・学校は、設置者である市町村ではなく、国や都道府県の方針を重視する傾向が強い。また、教職員の市町村に対する帰属意識が弱い。

などと書かれています。

 

この文章を見る限りでは、文部科学省は地方の教育を画一的に縛り付けようとしているのではなく、逆に「YOU!もっと地方の実情に合わせて学校を柔軟に変えて運営しちゃいなよ!」と言っているように感じます。

 

これはちょっと良い意味で意外でした(ノ゚ο゚)ノオォォォォォ

 

教育委員会や校長が、地域や子ども達ともっと真摯に向き合い、保身に走らず、地域の将来を真剣に考え議論すれば、もっと違った学校のカタチも作れるんじゃないでしょうか?

www.mext.go.jp

 

これ以外にもまだまだあるとは思いますが、

個人的に一番おかしいと思うのは、

『学びの主体者であるはずの「子どもの意見」が、学校の仕組みに全く反映されていない』

事です。

 

 

「学校教育はすでに破綻している」

という人もいます。

 

 

子育てする親として、元教員として、確かにそう感じる事はあります。

ですが、学校教育にも当然優れた点はあり、だからこそ今まで日本の学びの主流になって来たのだと思います。

 

しかし、今の世の中は目まぐるしく変化し、新たな知識や技術・情報・価値観が次々と産まれています。

その速度に学校が追い付いていないのもまた事実。

 

そんな時代の嵐の中でこそ、

「学校は何のためにあるのか?」

をきちんと考え、

「子どもたちと一人の人間として向き合い、対等に対話する」

ことを忘れずに、

「失敗を恐れず、子どもたちが本当に求める学びのカタチに変えて行く」

事が必要なんじゃないのかな~と思います。

 

 

基本に立ち返ってみると、

以外と問題はシンプルだったりします^^

 

それに、

 

「学び(学校)の選択肢」

は沢山あった方が良いですもんねぇ~^^